異邦人

天王寺公園
Don’t Think ,Feel…

カミュの『異邦人』を2日で読み終える。
印象的だったフレーズは
マリイは結婚したいと私に言う。
「私は何の意味も感じないが、マリイがそうしたいと言うならそうしよう」
主人公マルローが被告人として、告訴されている裁判でのあるシーン。
いわばこの事件を私抜きで、扱っているような風だった。私の参加なしに、すべてが運んで行った。
(中略)
検事の弁論は私を退屈させた。私の心を打ち、私の興味を目覚めさせたものは、断片か仕ぐさか、あるいは、全体から切り離された、長広舌そのものだけだ。

まるで、全ての出来事が無感動に、他人事のように淡々と進んでいく。
しかし、主人公は殺人を犯し、実際処刑されて死んでしまう。
しかも、その決定を行ったのは裁判。つまり、人間である。
後半では、司祭が登場し、神の名において云々と罪の贖いを行い出すが、主人公にとって大切なのは現在であり、欲望である。
しかし、この欲望も、やがては習慣の波に呑まれてしまい。特に何も欲しなくなる。
元々欲していたものと言えば、単なる日常、太陽のまぶしさ、町並みの喧噪、アイスクリーム屋のラッパの音、マリイの肉体であり、その他の雑多なものだ。
主人公マルローの欲する物は、特に、金が必要なわけでもなく、単なる日常、そして、その中で生まれる欲求そのものである。
最後は、全ての物に無関心になり、或る意味で幸福になる。
つまり、全ての物事に捕らわれなくなり、雑念が消える?
良く分からないが、無関心というより、自分の人生が取るに足らないものであると悟る。
その時、主人公は公開処刑時に、”自分”に関心を持ってくれる(憎悪の目で聴衆が見る)ことを最後に望む。

なんだか読了後は、虚しさが残るが、文章の巧みさ、前半と後半のギャップ、一貫したトーン(元新聞記者ならではの手法?)など、読むべき場所は多かったと思う。
ちなみに、ラヴクラフトはギブアップ… :???: