ジャン・ジュネ

風邪で2日部屋でヒッキー中。

まぁ、私の生活は、基本ヒッキーな訳ですが……。
仕事でも、引き籠もり。私生活でも引き籠もり……。

今日は、ジャン・ジュネについて書こう。

ジャン・ジュネは、社会の最低に生きる人間、しかも、男色や泥棒を生業としている人間によって書かれたすぐれた文学作品を生み出した。
元々は、自分自身が、私生児で、捨て子であったので、異端者として退けられた。
それは、「真っ当な社会」から存在を追い出され、非存在となることである。
しかし、ジュネは、普通の仕事を選択し、社会で存在者として認められるようにせずに、泥棒を生業とし、”あえて”悪を選択する。
また、ジュネは、男色者であり、女でありたいと望むのだが、例えば性転換などを行い、本物の女になることを望むわけではない。
そうすると、ジュネの欲望は、真っ当な人々の欲望と変わらないものとなってしまうからだ。

「非存在」「悪」「偽物」などに優位を置くジュネの選択は、「真っ当な社会」の秩序をゆるがす。

ところで、人間の存在に崇高な価値があると考える「ヒューマニズム」。
サルトルは、『嘔吐』の中で皮肉っぽく、ヒューマニズムを批判している。
人間があるということに何か意味があるはずだと考えている人間達を俗物だと呼んで批判している。
彼らは、なにか「ある」と言うこと自体、そのものが不条理で意味のないこということから目をそらして生きているのである。
そこで、独学者(人間中心主義を信じる人物)はうっとりしてこう言うのだ。
「1つの目的があります。1つの目的があるのです……人間がいるのです。」

ヒューマニズムは、どんな悪でも呑み込んで、善に転換させてしまうという性質がある。
ヒューマニズムの裏をかくことは、至難の業である。
ジャン・ジュネはその大偉業をやってのけた人物である。