一般言語

まー、またこれもパクリなんですが、一般言語について少し書きたいと思う。
そう、最近の興味の対象は、世界の構造なのです。
相変わらず経済は興味ないですが。
経済の観念は、ルソーやアダム・スミスの活躍によって、近代人に植え付けられたものであるのだから、ある瞬間というかある時代にのみ適応可能な説明体系だと思っている。
それで世界全体を見通せるとは到底思えない。
つまり、西洋中心の物の見方をやめようではないか という事なんですが。

で、一般言語とは、言語その物の構造を説明するものである。
例えば、英語ではBrotherやSisterという言葉がある。
中学生の時に習ったはずであるが、私は少し奇妙に感じた。
というのも、それらを訳すと「兄弟」とか「姉妹」とかそういった意味になると教えられたが、兄だか弟だか全然分からないではないか。
ついでに、「兄妹」なんてこともあり得る。
というわけで、日本人はその辺の親族関係についてとても重要だと考えているという事が最近になって分かった。
だから、兄 弟 姉 妹 と細かく分類されている。
一方、英語圏は、それなりに分かればいいと考えるので、BrotherとSisterしかない。
これは逆に言うと、言語によって、物の見方が規定されるという事になる。
もっと突っ込んで言うと、姉と妹そのものも、身体的特徴はちょっと違うかも知れないけど、同じ人間の女性だ。
こちら(他人?)が勝手に意味や価値をその人に与えて、佐藤君の姉さんと妹さんとかそういった属性を与えている事になる。
そして、未開社会の事を詳しく調べてみると、その辺の親族の関係についてとても細かく分類されていたりする。
だから、当然親族の見方も異なる。
親族について、これだけ違うのだから、そこら中に溢れている物の見方も当然異なる。(違った分類の仕方をする。)

部族(国)によって、物事の分類の仕方が異なる。
突き詰めると、世界にある言語は「差異」しか存在しない。
これは、日本人は何故日本人的な感性を持つか の1つの解答なのではないか と勝手に思っていたりする。