自分の事を知る。
うーん、相変わらずこの意味が良く分からない。
そういえば、アリストテレスは、「無知の知」とか「汝自身を知るべし」とか言ってたけど…。
そもそも、自分とはこう言うものだ。長所はXXXで、短所はYYYで、好きな事はZZZで、苦手な事はRRRで。ほかには、性格分析とか、適正テストとかエトセトラetc。

知るという事は、大切な事だけど、自分とはこういうものだから、という規定につながると恐ろしい事だと思う。わざわざ自分の本質を制限し、自分の能力の限界を狭めてしまう必要性がどこにあるのだろう?
そうなると、ますます知ってる事、分かり切った事しかやらない人間になり、どんどん可能性が失われていく。

自分の身銭(?)が少なくとも、何食わぬ顔をして、大博打を打つのがポーカーフェースの醍醐味ってヤツなんじゃないでしょうか?
いや、それなりに計算高さは必要ですけどね。