安住の地

どこに行っても安住の地は無い。と悟った。
ギリシア時代の奴隷と資本主義社会のサラリーマンも本質的にはそれほど違いはない。
死の権力と生の権力、どちらにしろ支配されている事には違いない。
むしろ、生の権力の方が恐ろしいとさえ言える。

腐敗しているのは、ほとんどのケェスはそれを見るもののせいに違いない。
まぁ、どちらが正しいか間違っているかなんて大した問題ではないと思うのだが、彼らはそれを主張する。
自己の正当性なんて、どれほど意味があるかどうかなんて分からないに違いない。

この日本の価値観が全てを総括するかのような狭い価値観に凝り固められてしまった悲しい人達 それが、今の日本のよくある管理職のあるべき姿。

おそらく、このような色眼鏡で見る人が蔓延している以上、未文字社会の人々や違った宗教観を持つ人々と理解し合える事は当分無いに違いない。

1つの時代の終わりは、新しい時代の幕開けなのに、終わってしまった時代にひたすらしがみつこうとするのは何故なのだろう?

世の中、どうでも良い事ばかりが重視されて、本当に重要な問題から日々遠ざかっているような そんな気がしてならない。
生きるためにはどれほど大切であっても、役に立つ誤謬、つまり嘘 であると気付いてしまった場合、どうすればよいのか?
そのような問題に、出来るだけ触れないようにして、社会は回転している。
そして、そんな悲しい時代に、僕らは生きている。