合意のテロル

「こうじゃなければならない」、「XXXしなければならない」、「そうであって欲しい」
とか、最もらしく簡潔で合意を促す言葉は、ほとんどの事が、発言者が強くそう考えている事だと思う。
そう考えている=そう言う欲求 がある ってことね。
実は、こういう言葉は、合意のテロル、つまり、言葉の暴力であると思う。

「あなたは私のことを全く分かってない」
「何でこの考え方が分からないんだ」
とかも似たようなもので、
自分だけが真実を握っていて、相手の言うことは嘘っぱちなのだ。
という自分中心の考え(ロゴス中心)に犯されているから、そう思考してしまうと思う。

そもそも真理とは何なのか?
と考えること自体がナンセンスだと思う。
老子の言うように、
これがそうであるといえるような真理は、真理ではない。
からだ。(真理は、幸せとか人間性とかに置き換え可能…だと思う ^^;;)

柔軟に臨機応変に対応することの大切さを老子は説いたけど、
これは、未だに僕の心に響く言い回しだなと思うわけです。


合意のテロル」への1件のフィードバック

  1. 語尾に「だと思う」が非常に多い。
    これはもはや意見ではない。
    自分の意見でしかない物であるから、「思う」という断定的な表現を使うしかないのは分かる。
    しかし、読者もそれをふまえた上でブログを読むのだから、「思う」という言葉を濫用するのは止めた方が良い。
    もちろんこれが「するべきだと思う」という形なら、「するべきだ」というテロルを防ぐための言葉遣いであるが。

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