ペルソナ

人は、社会に出るときペルソナ(仮面)を使い分けるという。
これは、場合に応じて自分の対応や性格を切り替えるという事らしい。
Aという場所では、外向的になり、Bという場所では内向的になる。
それでは、本当の自分なんてないではないか?と思うのだが、その問いそのものが馬鹿馬鹿しいのだそうだ。
例えば、本音と建前だとする。
本音を言うペルソナが、本当の自分と思うのは、その人の驕りまたは幻想で、自分で意識的に切り替えているのだから、意識化に現れない部分というものが考えられていない。
さらに、意識化に現れていない部分の方が意識として出てきている部分より広大な面積を持つそうだ。

そもそも、自分の人格というモノは自分でも分からないものだ。
昨日と今日で、自分の人格が繋がっていると錯覚してしまうのは、脳のまやかしでしかない。

あの人は頭で考えて云々とかこの人は感情で行動するから云々とかそういった話そのものが問題にされる事自体が奇妙だと思う。
感情的だとか、理論的もあくまでその人のペルソナの一面に過ぎない。
どんな人であれ、感情的であり理論的であるものだ。
両面を備えているのが人間なのである。

僕は、そもそも『こうでなければならない』という目的論的な考えはあまり好きになれない。
うちのページのトップにもある通り、
『これが真の道といえる様な道は、絶対的で固定された道ではない。』
と思っているからだ。
やり方は無限にある。
物事一元的な方向から見るようになってしまったら、それはとても悲しい事だと思う。