良き市民

社会人となってから、しがらみ多き(金と名誉だけが世を支配する)大人の世界に足をずぶずぶと踏み入れ、良き市民(税金を納めているという意味で/笑)となった僕には、ある種の倦怠感と共に、慢性的なこの日常的な、あまりに日常的な生活がとても億劫になってしまうときがある。

何が言いたいかというと、想像力や感性の欠如である。
ますます、つまらない教科書的な、意外性の少ない、そして、消費するだけの人間になっていくなぁと実感しております。

何か刺激的な行為を行おうとしても、それは、社会の中、組織の中、もしくは、常識の中で限られた(容認された)範囲でしか、楽しむことしかできないのではないか。
と、高校ぐらいからずーと思っている。
このずーっと思うという行為はとても重要で、人を動かす原動力になる。

「物事を追求する」という行為がめっきり減ってしまった。
まぁ、今でも勉強はするのではあるが、資格の勉強等で、”社会で生きるために必要な行為”でしかないからだ。

本棚とかCDとかを見直してみると、宗教とか哲学とか空想世界とか、民族性とかそんなのばっかり集めていた。
今読むと、難解すぎて、良く分からない。(馬鹿になった?)

何で最近興味がないのか不思議だ。
まぁ、金にはならないのは確かなのだけれど、そこには純乎でDionysus的な世界が存在するのは確か。

まぁ、何が言いたいのか分からなくなったけど、柔軟さが無くなってきたね。
“当たり前のことを、当たり前に考えすぎる”人間になっていくなぁ。