突破

初めはうまく話せなかったけれど、途中からは説法を垂れるように滔々と語りまくりました。
私の物語の筋道はしっかりしていたはず…と終わってからも、そこだけは自信があった。
エンジンかかってきたゾーと思って、ちょっと意外性を重視した話も絡めつつ、終始和やかなムードで終了!
そして、数時間後、即座に結果が出た。
合格。うひ。

最大の難所を突破!
新幹線内で思わずガッツポーズです。
HAIL METAL!

さて、これからが問題だ。
目に見えない価値もキチンと考えないといけない。

ところで、今日は、プラトンの『饗宴』を読んでいた。
内容は、愛(エロス)とは何かについて皆食事の席で語りあうと言うものだ。
そこで印象的な台詞回しがあった。

愛する者が裕福であると信じて、富を目的にこれに好意を示し、そうして後であてが外れて、愛するものの貧乏が判明し、結局何らの報酬を得なかった。これは人間の本性を暴露し、金銭のためならどんな行為でも行うという決して美しい行為でないという。
ところが、同じ理由によってこういう事も出来る。
ある人を有徳の士と信じて、これに好意を示し、また、この人に対する友情によって自ら向上し得る事を期待したとする。しかし、その人が邪悪な徳無き者であることが判明して、見当違いをしていた事を発見したとする。
こういう見当違いですら、美しいと。なぜなら、この人もまた、徳を向上するためならば、どんなことでも喜んですることによって、その人となりを顕していると思われるからである。これは、一切のものの内、最も美しいものなのである。

この言い回しは、よく考えると色々な使い回しが可能だ。
1つに、上記の台詞を信じて実行すること。
1つに、人を説得するための落とし文句。
1つに、人を判断するための評価基準。
1つに、まったく上記の台詞のことの通り思っていなくても、上記の台詞通りに意図的に振る舞うこと。
などなど。
少なくとも、上記の台詞が多くの人に訴えかける言い回しであることには違いないはず。