受動的休日

奇妙な虚脱感を感じている。
別にすることがないわけでも、無いんだけど。。。
徹夜をして、心底疲れていても、仕事をこなさないと行けない状況というのは、或る意味そこに”自由”を感じる事もある。

とりあえず、今日は最近にしては珍しく家で過ごしてました。
たまにはこういう日も必要だ。

自由を追い続けた旅人、サルトル
ハッキリ言ってカッコヨイ。
彼の発言は、力強く野心的な思想で、どこか崇高で…。
晩年は、悲しい生を送った様な気がするが、彼の眼差しは常に自由について向けられていた。

まず、サルトルは、人間は根本的に「自由な」存在であると言った。
それは、何でもやれる自由という意味ではなく、世界との関わりを自ら決定する自由という意味である。
そして、平凡な日常生活の中で何でもやれる自由があると思うとき、人間は受動的な生き方をしており、自由を見失い、自由に目を塞いでしまっている とサルトルは考える。
戦争におけるように、世界がどうにもならないように迫ってくるときには、人間は、世界と強く関わらざるえなくなり、世界と関わる自由が明らかになるのである。

人間が世界に能動的に関わっていく事を、サルトルは「アンガージュマン」と呼ぶ。