記号

世界のあらゆる要素は記号で成り立っている。
「dog」という単語が「犬」を表す必然性はどこにもないし、ある社会で「god」が「犬」という意味を持っていたとしても、なんら問題はない。
北米アメリカのホピ族に「イヌ」という単語を言ったとしても多分機能しないだろう。

このように、言語の意味付けというのは恣意的に決まるらしい。
トイレに行くと、男が青で女が赤で示されていたり、信号で青は渡れで赤は止まれというのも恣意的に決まっているらしい。

犬の意味は?
青の意味は?
と問うても、恣意的に決まるのだから、意味がない。
その社会の言語体系を眺めて、「犬」や「青」が”どのように機能しているか?”を問わないと意味がない。

と、言い出したのは、他でもない、スイスの天才 フェルディナン・ド・ソシュール だ。

そんな事を書きたくなった今日この頃。