時代

XXX時代。
構造主義的な見方かも知れないけど、これって本当に意味があるのか?問いただしたくなるときがかなりある。
時代による変化は、表面上は変わるけど、本質は何も変わっていない様な気がする。
それが個人の時代にしろ、西暦の時代にしろ。

経済の観念は、アダム・スミスやルソーらの力により、作られた比較的最近の概念だ。
婚姻に関しては、エスキモー型の婚姻のメカニズムに僕らは支配されている。
また、歴史観は、キリスト教的歴史観になぜか呑まれてしまっている。
そう、とても多くの人が!

今の社会は、ある資本家の書いた本は、もてはやされ、パピルスに記された素晴らしき国”プント”や未だ見ぬ謎の大陸”レムリア”などの情報は意味がないと考える。
僕にはそれが不思議でしょうがない。

もっと重要なのは、僕らの思考のメカニズムは、日本なら日本で、予測可能な思考に落ち着いてしまうという事だ。
世界はもっと自由であるべきなのに、本当に悲しい事だ。