年末年始

何故か分かりませんが、年末年始予定が立て込んでます。

ゆるりと本を読む時間が欲しいです。
最近は、中国思想の本を色々買ってます。
司馬遷と荘子は特に良いですね。
詳しくは、Wikipediaでどうぞ。
(リンクしようと思いましたが文字コードがUTF-8なので上手くいきません… ^^;;)

荘子の斉物論(せいぶつろん)編にある一章
人間は湿気の多いところで寝起きすると、腰の病気が出て、半身不随になって死んでしまうが、鰌(どじょう)などはそんな事はないではないか。又人間は高い木の上に住んだりすると震え上がって恐れるが、猿は一向に平気だ。人間・鰌・猿のこの三者のうちどれが本当のすみかを知っている事になるのだろうか。
人間は家畜の肉を食い、鹿は草を食い、百足(むかで)は蛇をうまいと思い、鳶や烏は鼠を喜んで食う。
この四つのもののうちで、どれが本当の味を知っているという事になるだろうか。
猿は犬猿を雌として追い求め、馴鹿(となかい)は鹿と交わり、鰌は魚と仲良く泳ぎ回る。
毛嬙(もうしょう)や麗姫(りき)は人間にとっては絶世の美女とされるが、魚はその姿を見ると、恐れて水深く沈み、鳥はその姿を見ると、驚いて空高く飛び上がり、鹿のむれはその姿を見て、一目散に逃げ出すだろう。
どれが本当の美を知っている事になるだろうか。
私(荘子)から見れば、世間で言う仁義のけじめや、是非の道筋は、訳の分からないほど混乱しており、私にはさっぱり区別がつかない。

注)毛嬙・麗姫 = 『荘子』に何度か登場する古代中国の代表的美女の名。

こういった全てのものを同一視するスタイルの事を万物斉同(ばんぶつせいどう)と言います。

これは、当時勢力を伸ばしていた儒家思想(孔子)の思想を真っ向から否定するもので、起源は老子に求められます。
万物斉同を説いた荘子は、政治的な要素も含む老子の思想から政治的な用をを全て取り払い、思想としての純度を高め、宗教とも言えるほど体系化しました。
そこには徹底した二元論の否定が行われています。

丁度、デカルト以降の二元論を否定する現代の哲学者(魁はニーチェか?)の様でもあります。
西洋の哲学者が漸くたどり着いたとも言える思想に、中国思想が既に到達していると感じ取れるあたりは、素人考えながら、なかなか感心させられるものもあります。
どちらが優れているというわけでもありませんが、両方知っておくのは世界の思想の節々を感じる事が出来きます。
万華鏡を覗いているようでなかなかに面白いものです。

荘子の得充符編にある醜男の話や司馬遷の話も書いておきたいのですが、又の機会にでも…。