プラトン『プロタゴラス – あるソフィストとの対話』(光文社古典新訳文庫)
これは、素晴らしい翻訳だ。非常に平易で読みやすい。原文との差異は
さすがに良く分からないけど、岩波文庫のカタッ苦しい文体より明らかに
“文章”の体をなしている。また、注釈がそのページ内に記載されている
のでいちいち巻末を読まないでも良いのが楽で良い。
内容は、徳とは何か? と言う事について。
ただし、この時代(ギリシア)での徳とは、今の現代日本人が考える様な
徳ではなく色々な事やものの優れた性質のことを指す。例えば勇気や知
恵や誠実さや善等々そう言った一般に優れているとみなされる性質につ
いてをすべてを含むものの事を指す。で、その徳とはいったい何なのか?
と言う事について、プロタゴラスとソクラテス(この本で登場するソクラテス
は 30 代半ばの血気盛んな哲学者である)との対話編なのである。プロ
タゴラスというと、ギリシアで名を知らぬものはいないと言われるほどのソ
フィストである。ソフィストとは弁論術の巧みな者を指す。ギリシアで名声
を得ようと思うと弁論の巧みさが要求されたらしく、その弁論術の技法を
教えることを生業とする者達の事である。
ちなみにプロタゴラスの授業料は 1 回の授業で、軍艦 2 隻が買えるほ
どであったという。一方のソクラテスは粗末な布きれ一枚で過ごす毎日。
その2名が徳とは何かについて語り合う。プロタゴラスは、徳とは何かを
知っており、尚かつ、教えることすら出来る。とソクラテスに言う。ソクラテ
スは、お得の論法(無知の知)で、次第にプロタゴラスの知っていることと
は確実な事ではないのだと攻めていくが、プロタゴラスはプロタゴラスで
私は知っている。神話時代はこうであった とと、神話を持ち出し物事の由
来を雄弁に語ってみせる。
そんな問答を繰り返しながら、結論は意外な方向に向かっていく。なんと、
プロタゴラスは、徳とは何であるかを説明できなくなってしまい。ソクラテス
は、徳とは知識であると結論づけてしまうのである。知識である以上は、
説明可能であり教える事が出来る状態となってしまう。
そんな状態で、一旦お互いに用事を思い出したのでこの話題は一旦中座
となり物語は終了する。
なんだか良く分かったような、良く分からないようなお話なのであるが、お
互いの論述が特徴的で非常に面白かった。結論がそれほど重要でない
事は大体の哲学がそうであるように思っているのだが、今回も同じだと思
えた。それよりも、どういった道筋で物事を考えるかと言うような思考の軌
跡を辿ることの方が僕にとっては重要なのだ。
脇を固める哲学者達も非常に特徴的で良い味を出している。名脇役である。
プラトンの本を読み終えていつも思うのは、確かに科学的事実(前提となる
様々な知識)は現代の方が進化しているとおそらく言えるのであろうが、哲
学する事、思考する事、知恵を持って考える事、こういう事はプラトンの時代
の方がより健全で高度な思考をしていたのではないか と考えてしまう。
もうプラトンの様な哲学全盛の時代はおとずれないのかも知れないけれど、
それでも僕は哲学になんらかの意味を見いだしてしまう。そして、読んでい
る時は非常に充実して楽しく過ごせるなー と久々に感じた良い本であった。