時間の話

労働時間の話をすると”嬉しそうに”今月は XXX 時間働いた と
言う様な話をする人がいる。その人は、暗に凄く頑張ったと言い
たいのだろうか?

長く働くのがそれほど偉い事なのだろうか。それって嬉しい事な
のだろうか。そんな事を考えてしまう。普通に働いて、普通の余
暇があって、安定した収入があり、精神的に安定している方が、
よっぽど高品質で発想豊かな仕事が出来る様に思える。そう考
えると、時間が長いからと言って、良い仕事をしているかと言う
問題とは別問題に思える。少なくともボクはそう思っている。

時間だけ過剰に浪費する様な仕事が、自分にとって価値のある
仕事かどうか という問いかけに対しては皆 NO と答えるはずな
のに、なぜ嬉しそうに過剰な労働時間について語るのだろう。対
価にきちんと結びついていると言えるのだろうか? それとも、既に
一般的な感覚が壊れているのだろうか? 労働者であるのだから、
労働時間を経営者に売って生計を立てている。この不文律につい
て、疑問を持つ自分がそもそもおかしいのだろうか?

経営者にとっては、文句も言わず自己を犠牲にして、優れたパフ
ォーマンスを叩き出す装置なのだろう。自分は、そんな装置には
なりたくない と思う。

最近、仕事の事ばかり考えてしまう。ある後輩は自分の考えに
凄く同調出来るという。その後輩曰く、こういった考えをしない人
間は、その人なりの黄金律があって、”絶対的な信仰の元に働
いている” と言う様な事を言っていた。確かに、仕事は宗教的な
側面も強いと最近良く思う。


時間の話」への1件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)